木登りを味わう

2016年3月9日(水)更新

木登り1 

ある子が、木を登っていく姿を見守っていた。

「出来るか出来ないかわからないことには、
あまり手を出せないでいる」そんな印象の子だった。

彼がプレーパークでする遊びの種類は、そんなに多くない。
それが悪いことでは決してない。

新しい遊びを提案すると、
「そんなん無理だよ~、俺はいいよ~」とよく言う。

その子が、自分にとってあんまり得意じゃない「木登り」を始めた。
どんな顔で、どんな風に登るのだろう、知りたくて、彼の傍で見守っていた。

 

一つ一つの動きが、とても慎重でゆっくりで、丁寧だった。

時折、「ちょっと怖いな。いけるかな?」とつぶやく。

別に僕に答えを求めているわけでもないのだろうけど、
下にいる僕をちらっと見る。

「大丈夫だよ」とつぶやき返すと、彼はまた次の枝に手を伸ばす。

そうこうしているうちに、彼にとっては初体験の高さまで登っていった。

その日から、自分の中の何かのスイッチが入ると
彼は木登りをするようになった。
彼の遊びのレパートリーの一つに「木登り」が加わった。

 

彼が木を登る姿を見ながら、
遊ぶこと、彼のことについて、考え感じようとした。

 

降りるも登るも自分次第。頼りになるのは、自分の身体と感覚のみ。

周りの人から「ここに足かけて、あそこに手をかけるといいよ」、
そう言われたって、結局意味がない。

登っているその子が自分自身で、手を足をかける場所を決めて、
ぐっと力を入れて、「いけるかな、どうかな。」自分に問いかけ、確かめ、

「怖いけどいける!」

そう思えた時にしか、身体は上に持ち上がらない。

 

出来るも出来ないの判断も、その結果も全て自分自身のもの、
それが木登りなんだ。それが遊ぶってことなんだ。

いけるかいけないか、ギリギリのライン、
その境界に触れているときに感じる緊張感、スリル、恐怖感、
一歩上に進んだ時の喜び、それを彼はじっくり味わっていた。

落ちないためにどのくらいの強さで木を掴んだらいいんだろうという指先の感触、
伸ばした足と木の距離感でわかる自分の体の大きさの感覚、
そして自分がどこまでを恐いと感じ、どこまでなら恐いと感じないかの感覚。

そうした一つ一つの感触、感覚すべてを自分のものとして味わえた、
そんな気持ちが彼の表情に表れていた。

僕は、ゆっくりと丁寧に伸ばされる彼の手足から、
自分の限界を自分で把握しようとしている姿を、
「フッ」と漏れる声、強張る身体から彼の意思の強さを、
そしてベストの体勢を見つけるために身体を何度も入れ替える姿から、彼の粘り強さを感じた。

どれも普段の彼の姿から、僕が感じ取れていなかったこと。

木登りを通じて、彼の中の何かが引き出されたのかなと思った。

 

子どもがその遊びをすることには、きっと何かの意味がある。
遊びながら子ども達が自分で自分を育てていく姿を
より一層丁寧に見守りたい。

そう感じた出来事だった。

やのちん